プロローグ
ある薄ら寒い秋の日、私はぶっ倒れた。
正確に言うと、横になった状態から
起き上がることができなかった。
身体がとうとう、仕事の疲れに根を上げてしまったのだ。
私は焦ったが、それは世間体から見て、
焦った方がいいからそうしていただけで、頭の中は案外冷静だった。
私は病院へ行き検査を受けた帰り、ふと不思議な心地よい香りを感知し、それを辿ってゆくと、近所の花屋へ行き着いた。
入り口の棚は、顔の描かれたカボチャ型の陶器の器に入った小さな花達が並べられていた。不思議な香りの正体は彼らだった。
そういえば今は10月だ。
彼らは赤や黄色、色とりどりの表情をして愛らしく、無駄口も叩かず行儀よく並んでいた。
10月を過ぎると、彼らはどうなってしまうのだろう。
無垢な表情でこちらを見つめてくる彼らに見とれていたら、突然このような疑問が浮かんだ。
今思えば、違う形の器に移し替えられてまた同じ売り場に仲良く並ぶのではないかと、希望的観測を思いつくこともできた。
この季節なら、例えばクリスマスを模した容器とか。
そもそもこの花は10月を過ぎれば自然と枯れる種類なのではないかとも、今なら容易に思いついたはずだった。
ところが、その時の私は彼らの行く末が妙に不安で仕方がなくなっていた。
数時間前、自分が横になった状態から起き上がれなかったことよりも不安になっていた。
まるでそのことが、世界中で一番大変な問題のように感じていた。
私は15分ほど迷って小さな花の器を手にし、レジに並んだ。
それから私はふらつきながら家に戻り、自分の部屋の飾り棚の上にその花を置いた。
花は再びあの不思議な香りを発し、その香りは部屋を満たした。
すると、私は突然深い眠りに襲われ、もう二度と同じ姿で眼を覚ますことはなかった。
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さて、以上のことは、彼らに「魅せられた」者達の身に起こる数奇な現象の一例である。
「魅せられた」者達は、これを「運命」だとか、「奇跡」とかなんとか言って理由を取り繕うのを試みるが、
大抵は「彼ら」のまやかしに引き寄せられたに過ぎない。
そんな彼らの言葉に騙されてはいけない。
そのために「秩序」があり「歴史」があり、「土」があり、「鉄」があるのだ。
ところで、私もその「秩序」の一部を担う者として、皆に問いかけたい。
これを読んでいる貴方は、
先程挙げた者のような愚かな立場につくのか、
それとも私のように「秩序」の立場となり、彼らの誘いを斬ってゆくのか。
あるいは、どちらの立場にもつかず「傍観者」として無視を決め込むのもいいだろう。
まずは彼らの言葉を、彼らが日々聞いている音を、皆にも聞こえる周波数に加工し、繋ぎ合わせた。
初めての試みなので、不鮮明な部分もあるかもしれないが、
この問いに答えていただける意志があるのなら、どうか最後まで聴いていただきたく思う。
皆の答えを心から待っている。
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