2019年
デレステの年越しライブイベント走りながら、紅白を見ながら、まったり大晦日を過ごしている。
これ以上ないはずの幸せを噛みしめようとしても、それを許そうとしない声と劣等感に時に突き落とされ、時に背中を押された1年でした。
私の体は器でしかないので、器が一番輝けるよう、器に見合った服装や化粧を選び、器に話してほしい声色を使って日々を過ごすのは、
1人のアイドルをプロデュースしているようで苦しくも楽しいことです。
5年前、「25になるまで、自分がLGBTであること名乗らない方がいいよ。若い頃は自分の自我が完成されてないから」って知り合いが呟いていたのを覚えてます。
あれから5年経ち、だいぶ境目ではなくグラデーションであるという考えが浸透した時代になりました。私は心も体も未成熟のまま大人の年齢を迎えてしまいます。
でもいくつになっても美しいままな人たち、自分らしく生きて画面の中で輝く人達に励まされ、それでも、一言でも傷付く言葉を言われたら簡単に死を選んでしまいそうなほど弱々しい自尊心と、自己愛性人格障害を抱えたままの、こんな私が愛おしくて仕方がない。
恥ずかしげもなく自分を着飾って堂々と自分を愛している人達が、憎らしく、羨ましくて仕方ない。
何度も人混みで爆発して駅の保健室の毛布の温もりを知ったけど、犯罪を起こす方向にも踏み切れず、どこまでも平凡な自分です。
「平凡だね」というのは、大学時代の恋人に言われた言葉でした。
こんなに人に嫌われるのを恐れているのに、人への感謝とか、人のために何かをしようという気持ちが欠けているなんて、私っておかしいですよね。
自分のことしか見えていないということに帰結するんでしょうが。
だってほら、このブログ私の話しかしてないし。
…好き勝手なこと喋りました。誰一人理解できないだろうけどこれが自己分析の答え。2019年1年間考えて導き出した答えでした。
自分を輝かせるためだけの努力くらいはしても笑われないでしょうか。いっそのこと、みんなを笑わせるような仕事もしてみたかったりする。
隣にいる母親に、「ねぇねぇ、嵐はこんなに努力して一生懸命踊ってるのに、私達はだらだらとソファに座ってテレビを見てる。私たちはよく逮捕されないでのうのうと生きてられるよね」
と言ったら母親は
「そんなの嵐が好きでやってるんだから気にしなくていいのよ」と言ってくれました。
人生ってそんなもんでいいのかなぁ。
いつになったら罪悪感なく生きられますかね。
誰かに恩返しできるくらいまともな人になりたいです。
良いお年を。
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